13 石本雄一
美術を選んで本当によかった。僕は高校に入るまで油絵具とアクリル絵具は、大して変わらないものだと思っていた。中学生のときに美術館へ行ったときも、展示品をアクリル絵具で描かれたものを見る感覚で見ていた。しかし、高校に入ってその考えは根底から覆された。水でこすっても落ちない絵具。ペインチィングオイルの文化を感じる香り。麻でできたキャンパス。木製のパレット。アクリル絵具を使うときに比べて、絵を描く心構えがまるで違った。それらはまさしく本物だった。
一枚の絵に本気で取り組む人間の、本物の道具だった。夏休みに水彩絵具を使う機会があった。油絵具に比べてよく言えば手軽なのだろうが、小学生の塗り絵となんら変わらないものだった。自分の知っている絵が、塗り絵と変わらない、アクリル絵具や水彩絵具だけだったら、文化知らずの田舎ものになっていたと思う。
実際に油絵を描いたのだが、もちろん思うようにはいかない。目の前にいる自分をそのまま写すことさえままならない。自分がどれだけものをきっちりと見ていないかを思い知らされた。何とかキャンパスに自分の分身を作り出すことができた。しかしそこにいたのは、立体感のない平面的な服を着ており、全体の調和がまったく取れていない、なんとも薄っぺらな自分だった。僕一人だったら、一ヶ所ずつ、今日は顔、その次は背景というように直していただろう。
しかし、小牧先生のおっしゃる通り、一回の授業で全体に色がいきわたるように描いた。すると徐々にキャンパス全体に一体感がうまれ、それなりの絵ができた。先生に「ここから壊せるかが勝負」と言われた。僕はためらうことなく壊しにかかった。破壊と再構築を繰り返すうちに美しい目を持った自分が現れた。嬉しかった。絵の中の自分はなぜか緑色だった。油壺と同じ緑色だった。
何回も何回も創り直すことで、絵の中の自分は確実によくなった。これは実生活の中でも言えることだと思う。何かを深く追求するときも、僕は破壊と再構築を以って挑戦していけると思う。キャンパスの中の自分の目に負けないくらい美しい目を持って生きていきたい。