18 橋本 菜央
「美術」という授業を、私は軽んじていた。美術室に行き、周りの人とお喋りをしながら先生の話を聞いて、提出物は期限前にさっとやっておしまい。そんなことばかりし続けていても美術の成績は良かった。だからだろうか、美術の授業は何て楽な教科なんだろうとしか思っていなかった。しかし、それは中学校までの話だった。
土浦一高に入り、そして美術の授業。「美術室」という名のものは無く、変わりに「翼工房」がそこにはあった。翼工房の中には、勉強をするためだけの教室には無い、異質なものが多く見受けられた。大画面のスクリーン、マイク、流れてくる心地よい音楽などどれもこれも中学校の美術室には無かったものであった。そして、もっとも異質だったのは、異質と言っては失礼になってしまうのだが、「小牧幹先生」自身であった。
先生は、私が今までお会いしてきた「教師」とは違っていた。良いことばかりを教えるだけでも無く、絵の描き方も「こうすればよい」とは簡単に提示しない。美術の授業が始まった頃は、そんな先生に戸惑った。だが、今では私にとって、先生が土浦一高にいなくてはならない存在となっている。これは、先生の言う「異質なものを受け入れること」が少しできた証なのであろうか。
私が絵を描いている間に聞こえてくる先生の話は、とてもおもしろいものであった。新鮮で、何かを考えさせてくれる。自分について、他人について、「土浦一高」というものについて。本当に多くのことを考えることができた。その中でも、最も深く考えたのは、やはり「十六年間生きてきた私自身」についてであった。しみじみと感じたのは、「私は暗い」ということだ。「絵にその人自身が出る」と先生は言ったが正にそうである。どんなに明るくしようとしても画面はさらに暗くなり、全体をがらっと変えようと思っても大きく変えられない。それは今までの私の人生であった。これを、何か変えることができたなら、私自身も変えられたのか、と今さら後悔している。
今、自画像は終わってしまったのであるが、本当はこのまま続けていたかった。このままずっと、何年後も。そうすれば、どんどん絵は深くなっていき、最後には「わたし」を振り返れるのだろうと思う。