19 水澤 由樹

絵を描くのは思ったより難しかった。絵を描くのは好きなはずだったし、ただただ自分が思い描いたとおりに絵の具をキャンパスにのせていけばよいものと思っていた。小牧先生がおっしゃっていた通り、中学時代の美術の授業では、どれだけ見た目を本物に似せるかということを重要視し、過程より結果を優先させるものだった。
 しかし、高校の美術の授業では、いつも先生は教室を歩き回り、絵の技術ではなく、絵に向かう姿勢や絵を描く本当の意味を教えてくださった。その中で、先生は、「絵は人生だ。」とおっしゃった。そういわれたとき、私の目の前にある、たった一枚の絵が自分の目に見えない、触れることのできないところまで無限と広がっているように感じた。自分の絵のはずなのに自分のものでないようだった。
 そうして、私の絵との戦いは始まった。絵を置いて今日はどうしようか考える。前回は顔をやったから今日は背景にしようか。それなら緑で塗ろうか、赤でぬろうか、それとも今の絵にない新しい色を挑戦してみようか。そうおもって絵の具を置いていったけっか、追っていた以上に自分の絵が輝いて見えたり、逆にただ汚らしい感じになってしまったりした。そんな風にして毎回、絵を描くたび、躊躇したりなやんだりしてその結果成功したり失敗したりを繰り返し、私の絵が自分にほんの少しずつ知被いていった。また、先生の「絵は人生だ。」という言葉の意味を理解できるようになっていったが、それと同時にまた絵が広がっていくような感じもした。
 今、この絵を終わりにしてもいいような気がするし、まだまだどこにも何回でも手を加えるべきところがあるようにも思える。描いていくと理解できるところ、もっとわからなくなるところの二つが絵を描くことの難しさ、楽しさ、自分とは何かのどのたくさんの真実や疑問を与えてくれた。二年生では美術の授業はなくなってしまうけれど、絵を描くことの奥の深さや学んだことを大切にして、これからも絵と触れ合って生活していきたいと思う。