2  磯 まな美

先生が私の絵を見て、「牛久の河童みたいだな」とおっしゃったことがある。それ以来、絵に向かうと必ずこの言葉を思い出す。正直なところ、少し嬉しいと感じた。それが自分にしか無いものであるのなら、むしろ自分は変でありたいと思ったからだ。入学当初から、同級生達との学力の差は歴然と存在し、井の中の蛙だった私は、ちっぽけな自尊心を粉々に打ち砕かれた。己の凡庸さを思い知らされ、それでも無理をして彼らに追いつこうとした。自分に満足できない日々が続き、心が荒んでいくのが分かった。   
スケッチブックには、唇を曲げ、釣り上がった目で前を睨みつけている、不機嫌で反抗的な私が描かれている。自画像を描き始めた頃、私はまとまらない気持ちをカンバスにぶつけ、とにかく絵筆を動かした。あまり考えず、色を置く作業に没頭した。答えが無いというのはとても気が楽だった。私はこの学校での自分のあり方が分からず、ただ学校の要求に応えることを正解としていた。しかし、それを実行できていない現実がある。追い詰められていた私にとって、自分を否定したり他人と比べたりすることの無い芸術の不確定さは救いだった。現実逃避だったのかもしれない。しかし、私は好きなように、好きなだけ絵を描くことができた。色を変え、表情を変え、自分だけの何かを表現しようと試みた。思うように描けず、自分の技術の無さにじれったさを感じることはあっても、授業を退屈だと思うことは無かった。私はあの時間、何度も何度も絵の具を重ねながら、自分を探すことに必死だったのだ。
授業中、小牧先生のお話は、私の感情を揺さぶるものだった。先生は世の中を憂い、私達を叱り、励まし、時々だが褒めてもくださった。その内容に自分を重ねては、失望し、焦り、泣き、慰められた。先生と自分の考えが食い違い、本当にそうだろうかと疑問に思う事もあった。翼工房にいる間、私はノートには写し取れない大切な事を確かに学んでいた。やがて、黒以外の全ての絵の具を使いきり、絵全体が炒め過ぎた酢豚のような色になった時、何だか違うな、と初めて思った。これは今の自分ではないと感じたのだ。先生からもご指摘を受けた。
絵の具を新しく買い、絵の中の私が少しずつ落ち着いた色調になっていくにつれて、私自身も安定し始めた。授業もあと数回となった現在、カンバスには、私の一年間の葛藤が記されていた。それは色となり筆となり、移ろう私の心がたどった跡を一枚の自画像の中に納めたものだった。私はがんばったのだと、やっと思えた。特別な一年だった。その時間は翼工房で濃密に刻まれ、実感する事ができる。美術を選んでよかったと心から思った。