30 小曽根志帆

 一枚の絵を描くことが、ここまで苦難をしいられるものだとは思ってもみなかった。今までの人生において、最もよく目にしているであろう自分の顔。しかし、最もよく見ていないであろう自分の顔。その「自分の顔」を、鏡だけを便りに描くというのは、勿論初めての経験だった。
 自画像を描くことを通して私が痛感したことは、自分で自分が情けなくなるほど、私は独創性、つまりオリジナリティーが欠如しているということである。このことは、絵を描く上で最も私を苦しめたことと言えよう。私の隣には、Kさんという女の子が座っている。Kさんの描く絵は、私がそう描きたい、と願うものにとても近かった。私もKさんのような絵を描きたいと思い、絵を描き始めた最初の頃はいつも隣を見て、そのタッチや色使いを真似るため試行錯誤を繰り返していた。しかし、どうもうまくいかなかった。真似すればするほど、絵の中の自分が自分とかけ離れていく気がした。どうしたものか、と思い悩んだときに脳裏に浮かんできたのは、「自分の身の丈で夢を追え」という小牧先生のお言葉だった。目が覚めた気分だった。確かにKさんの絵は私の理想に近かった。しかし、それはあくまでもKさんの絵だ。どんなに試行錯誤したとしても、私の絵はKさんが描いた絵の真似であり、「自分自身を描く」こととは程遠いのだ。私がすべきことは、自分の身の丈を知り、それを踏まえた上で自分と格闘しながら描くことだ。人が一生懸命描いている絵を真似しようなんて、愚かにも程がある。
それに気付いてからは、以前に比べ驚くほどうまくいった。勿論、時おり悩むことはあったが、心の奥底に根付いていた迷いはなくなった。絵の自分と、描いている自分がシンクロし始めた。絵を描いていて、楽しいと感じるようになれた。
そして完成した絵。完成と呼んでいいのかはわからないが、もうじき授業は終了だ。正直、自分が描き上げた絵に満足がいっているかと問われれば「はい」とは言えないが、私はこの絵が好きだ。今までに美術の授業で描いた絵をここまで好きになれたことはなかった。それとともに、自分のことも好きになれそうだ。好きになるための努力をしてみよう、と切に思う。この感情は、私にとって自画像を描いた上での貴重な財産となるだろう。この財産を私にもたらしてくれた翼工房に心から感謝の意を表したい。