31 横田雄喜
僕は最初、安易な気持ちで翼工房に入った。これから始まる壮絶なドラマが生まれようとは知らずに。その時から翼工房と僕は師と弟子、いわば人生の先輩後輩となった。そして僕の根本的な考え方を覆した。それにあたって翼工房の責任者である小牧幹先生には大変お世話になった。
自画像を描くにあたって、僕には二つの考えがあった。まず何よりもキャンバスを鏡のように、自分の顔とそっくりに描くこと。そして全体として薄めに、軽く描こうと思っていた。もちろん始めは、その信念で描いていた。しかし、どうしても合わない。どれだけ自分に似せて描いてもそれは別の誰かで、その人が僕をジロリと睨んでいるようだった。「何がおかしいんだ」そんな言葉が心の中で駆け巡っていた。僕はその時、初めて自分と向き合った。対話をした。何を求めているの?自分の全て?何をすべきなの?何回も絵の具をのせるんだ?絵がおかしくならないの?やってみろよ?そんな事言われても…?そんな葛藤が続く中、小牧先生は語った「自画像を描くというのは、心をみつめることなんだよ」「絵を壊せ」と。
僕はハッとした。先生はいつも「挑戦」と言っていた。僕の頭ではこの意味が分からなかった。しかし、この時「挑戦」とは、絵を変えること。たとえ上手に描けたと思っても、絶えず絵との格闘を続けること。そのために、心をみつめ、キャンバスに心を描くことから始めるんだと気付いた。そして、その「挑戦」という不屈の精神は、これから先の人生でかなり大切な事なことだと思った。それからは絵を壊して心を描き、自分を見つめた。それと同時に、僕の人生も見つめることができた。自画像が楽しく感じられるようになった。そして今も「挑戦」し続けている。
ところで、B組は翼工房のそばの便所掃除を任されている。小牧先生は便所掃除が大切だと言う。しかし始めの頃僕は便所掃除を馬鹿にしていた。確かに掃除は大切だが、便所掃除で人生が語れるものなのかと思っていた。しかし最近になって将来を考えるようになり、もし人生が今日の日常生活とつながってくるとしたら、便所掃除というものは奥が深く、品格が養われる大切な時間なのだと思うようになった。これからは便所掃除を真剣に行い、人生を見つめたい。