41 宮越早和
自分を鏡を通して見続ける。これは、日常ではあまり行わない動作だ。自画像を描くためには、この「鏡」が重要だった。否が応でも、自分の顔をよく眺めなければならないからである。
しかし、じっくり眺めなければならなかったのは、自分の「顔」だけではなかった。同時に、その顔に刻まれた、16年間の道のりをも発見することができた。何かに歓喜した記憶、自分の内側の可能性への期待、あるいは、孤独や恐れるものへの恐怖。最近ふと感じたことから、幼いころの体験まで、全てが蘇ってくるようだった。
いろいろなことを思い出すにつれて、私の絵も、次第に姿を変えていった。ビニールのような青から、血のような赤褐色へ、卵のような黄色へ、そして、山の芽吹くような緑へ。前回の授業で塗りたくった色は、次回には、自然と絵に溶け込んでいた。
自画像を描きはじめた頃、とりあえずみんなとは違う絵にしよう、目立つような絵にしようと、ただ派手な色を塗っていた自分がいた。それで満足だった。「個性を出すことができれば、色なんてどうでもいいや。構図とデッサンだけ考えればいいんだ」頭の中で、やかましい誰かがこう言った。
しかし、先生の「絵を壊せ」という言葉に、ハッとさせられた。頭の中のやかましい人も黙った。私の絵に足りないのは、卑怯な自分をしっかり見つめなおすことだった。それからは、自分の中の汚い部分をしっかり見つめ、絵の中の登場人物にさせようと努力した。「色彩は難しい」という、この言葉は最初から最後まで私を悩ませた。ずっと気づかなかった。色彩の美しさを考えずにただ出そうとする個性と、色彩の美しさを含めた個性とは、まるで質が違うことに。
あっと言う間に、自画像を描く時間は終ってしまった。終ってから自分の絵をじっくり見つめると、自分との奮闘や努力が残していった足跡を、ところどころに見つけることができた。この絵には「私」が詰まっている、様々な顔を持つ「私」が。そう思うと、急にいとおしく思えてきた。この絵は一生の宝物だ。