44 山田明日香
半年をかけて描いた自画像がついに完成した。自分の描いた自画像を見ると、ふと思うことがある。それは『自画像と言えるのか?』と言うことだ。以前、小牧先生に『今描いているのは自画像。でもきみのは肖像画だ』と言うニュアンスのことを言われたことがある。実は自分でもそう感じていた。第一“鏡に映る自分”をちゃんと見ていなかった気がする。だからデッサンはあれでよかったか今でも不安である。しかし、それよりも“鏡の中の自分”を見ていなかった。鏡に映る目に見えている自分すら描けていないのに、鏡の中の目に見えない自分は描ける気がしない。心の底からそう思っていた。そんな時の先生の言葉は心に突き刺さった…。
その時私は自分の行動・発言その他すべてに自信がなかった。だからはっきり言って“鏡の中の自分”には目を向けたくはなかった。今思えば、見ていなかったのではない。それは必死に見え隠れしていたのに私は見ようとしなかったのだ。自分の本当の姿から逃げたかった。自信のない自分は嫌い。自信のない自分から逃げようとする自分はもっと嫌い。とにかく自分は嫌い。だからそんな自分を絵に描くなんて、本当はいやで仕方がなかった。苦痛だった。
でもなぜか“絵を描くこと”は好きだった。何かに没頭することでそのこと以外考えなくて済むからだと思う。それが絵だった。苦痛である自画像でさえももっと上手く描きたいと感じた。このように自画像を描いているときは様々な思いが巡ってきた。その度に自分の考えは何て矛盾しているのだろうと思った。
だけどそのうちに、心を決めなければならないと気がついた。気づいても始めは何もできなかった。しかし、自画像が完成した今、私は大切な心を手に入れた気がする。それは今まで向き合おうとしなかった自分と向き合ってみようとする心である。もしかしたら自画像が肖像画で終わってしまったのは、この心を手に入れて間もなかったからかもしれない。もう少し早くこの心を手に入れていればより良い自画像が描けたのだろう。でもこれで終わって後悔はない。むしろまだこのままでよい気がする。心は手に入れた。だから、少しずつでいい、少しずつでいいから勇気を出して、もっと本当の自分と向き合えればいい。そして力強く生きていきたい。