45 赤木皓介

 何十時間という時間を経て、私たちの自画像は終わりを迎えようとしている。ようやく―と、私は思う。美術室にやって来るたび鏡を引っ張り出しては、面倒くさいと思うくらいに鏡の中の自分と向き合ってきた。目の前の鏡に映る人物は自分である。紛れもなくそれは自分以外の何者でもない。それなのに、いや、そうであるからこそなのだろうか、鏡の中の己の姿に無性に腹立たしくなり、嫌悪さえした。
 私の絵は薄い。どうひいき目に見ても私の絵は薄い。鏡の中に映る己の闇を否定しては何度も何度も絵の具で塗りつぶしたはずなのに、私の絵は厚みを持たなかった。描いても描いても進展を見せない自分の絵に、鏡の中の人物に嫌気がさした。しかしこの絵が薄いというのは、同時に自分自身も薄いということである。人間味の薄さ、信頼の薄さ、社会に対しての自分の存在価値の薄さ、ヒトとしてのbackboneの薄さ...。数え上げればきりがない。そんな自分を変えようとしても鏡の中の自分が臆病であるが故に変わらない。変えられない。今まで作り上げてきた虚像を愛し、すがろうとするが為、絵は、その底を簡単に曝してしまう。
 絵の中には自分の影は映ることなく、そのために自分の闇という、これもまた自分の一部という大切なものをなくして、絵の中の私、つまりは第三の私はますます迷走を続けた。迷走が続いていくうちに絵は輪郭がぼやけていった。次第に色の調子が統一されて、空間と私が混ざっていくような、そういう曖昧な美がでてきた。淡くはかなく自分を消すように、また描き足していく。
 迷走はどうなったのか。もう自分にも分からない。無造作に振り回した私の筆が空高く私を誘ってくれたのか、それとも更なる迷走、闇への疾走と変わっていったのか。不安と迷いの中で描き続け、苦しみ、葛藤した末にできたこの絵には、真実が、そしてその更に奥深く、でたらめと嘘の奥にもまた、本当の答えが眠っている。鏡よりも正しく、何よりも深い自画像。この一年は多くの意味でとても有意義であったと思う。
 最後にこの1年間美術の勉強を教えてくださった小牧先生本当にありがとうございました。